安部公房と2人の女性

安部公房の名前は、40年以上前の、学生時代から目にしてたが、彼の小説は読んだことがなかった。ここ最近、読み始めたこともあり、図書館で関連書物がないかと調べていたら、娘で医者だった安部ねりさんによる「安部公房伝」と、愛人だった女優の山口果林さんの「安部公房とわたし」という本を見つけた。私、安部公房に興味を持たず来たので、山口果林さんが愛人だったなんて、全く知らなかった。

パラパラと本をめくると、著名な、それも一時ノーベル賞にもっとも近い小説家と言われた評伝に関することだからなのか、安部さん、山口さん、両者とも淡々と書いてあり、面白そうだったので、2冊とも借りて読んでみた。

いろいろな交友関係が出てくるのだが、西武セゾンの堤清二が出てくるのが個人的に興味深く感じた。というのも、当時は西武文化戦略と言われ、美術、演劇など先鋭的なものを紹介し、私自身、そうしたことに憧れ、セゾングループの末端で働くことができ、イベントの仕事をしていた。が、安部公房が堤清二と関係が深く、パルコ劇場や西武美術館で作品を上演していたことなど、全く知らなかったし関心もなかった。本を読んでいて、一体、私は当時、いろいろ文化関連の情報は取っていたつもりだが、振り返ると、何に注目し仕事をしていたんだろうと思ったりする。

学生時代、書店にはよく行ったので、安部公房の「砂の女」「他人の顔」「燃えつきた地図」という作品は、ハードカヴァーで新潮社の純文学書下ろし作品として売られていたが、若い私には、とても高く感じ、手が出なかったし、そんなことよりも、別の刹那的遊びにお金を使っていた記憶がある。そんな私自身の若い頃を思い出し、故人の回顧録とは言え、そうだったんだと、いろいろな感情が湧き起こって一気に2冊とも、読んでみたのです。

戦時中、安部公房家族は、満州にいて、そこで敗戦を迎えたのですが、安部ねりさんの「安部公房伝」の中で、時代に巻き込まれ、気になることが、さりげなく書かれていた。それは、「ソ連軍は街に入り、家の中に入って来て銃を撃ち、家人を殺してそこを住居として使用したりした」と、戦争状態とは言え、えげつないことをしている。安部家は教授宅と札を下げて襲撃を免れた(それにどんな効果があったんだろう)。

また、「日本の細菌部隊が逃がしてしまったネズミから広がったとされる発疹チフスが伝染し始め・・・・・・40度以上の熱が1週間続き、浅吉(=医者であった安部公房の父)は死んだ」と、この細菌部隊とは731部隊のことだ。コロナ発生がどこだということが、様々な憶測が語られたが、戦時のこととは言え、日本も過去、似たようなことをやっていて、安部公房の父も亡くなった。人は罪深い生き物だ。

ところで、山口果林さんは、学生の時に23歳年上の安部公房と出会い、その後、彼と関係を持つ。公房は結婚していたので、山口さんは愛人という形になります。本では、公房との生活を楽しみながらも、相手がノーベル賞候補ということもあり、関係がマスコミにばれないようにと、気を使っていたことが書かれています。大変だ。

その安部公房は1993年に山口さんの自宅で倒れ、そのまま帰らぬ人となり、愛人宅で・・・と、マスコミに報じられたようです(私は全く知りませんでした)。私は、山口さんお本を読んでいて、自分の人生の大切な時間を安部公房の愛人という立場で過ごしてきたことへの、自己肯定感を獲得するために書いたようにも思えました。しかし、ありがちな感情吐露型の文章ではなく、あの時こうだった的な、淡々とした文章で、一人の女性として胸を張った堂々とした姿勢が伺える印象を持った。ただ、そこは死人に口なし、彼女の想いとは裏腹に暴露本的に取られてしまうのはしょうがないだろう。(安部公房が撮影したと思われるヌードまで掲載していた。執筆当時、彼女なりに過去の亡霊に決別する想いを込めたのでしょうか?)

一方、娘の安部ねりさんの伝記本には、山口さんは公房にとって、演劇では安部公房スタジオのメンバーであり、プライベートでも欠かせない存在でありながらも、一切、山口さんの名前は出てきません。母とは別の女性のもとに走った父、その先の女性を認めないという安部ねりさんのじくじたる思いを感じさせます。子供として、そりゃそうでしょ。完全無視に子としての怒りが伝わってきます。母と父の関係は、ぎくしゃくして一人住まいをしていた、というような表現のみ。やはり、ストレートに、はい、そうですか、とはいかないですよね。

ところで、妻の真知子さんも公房が亡くなった年に他界、娘のねりさんも2018年に亡くなり、すべて忘却の彼方へと薄れ霞んでいく。思うに、安部公房が優柔不断だった気がします。複数の女性が好きになるということはありえること、ただ、子供もいたんだし、どこかでけじめをつけるべきだったんでしょう。日本を代表する作家だったんだから、作品とは関係がないものの、死後、ボロがでてくるのは、なんかイメージとしてカッコ悪い気がする。

安部ねりさんの本には、安部公房と交友があった人のインタビューが掲載されており、「日本的な作家ということで、たとえば谷崎、川端、三島が知られていたとしてもですね、ほんとうに現代作家として外国の知識人に読まれた作家は、安部さんが最初だった。そしていちばん強い印象を与えたのが安部さんだったと思うんですね。」とあの大江健三郎に言わしめている。マイナスな感じで人を巻き込み、幕を閉じたのは、少し残念だなと・・・・・・。(今頃知ったんですけどね)

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