フランスの「黒い聖母」の謎

フランスの南西部の町トゥールーズ。ここは赤レンガの建物が多く「バラ色の都市」と言われているように、とても美しい街です。「星の王子様」で有名な サンテグジュペリとも関係が深い街。

ここに過去にローマ帝国の支配下におかれ、その建築様式を今に残したノートル=ダム・ラ・ドラードという教会があります。この教会には、ブラック・マドンナと呼ばれる黒い聖母子像があります。私が行ったときは、祭壇があいにく工事中で、別の場所に鎮座していました。見てみると確かに幼いイエス・キリストを抱いた聖母マリアの像は黒かったです。私の印象では少しチープな感じがしなくもなかったのですが、この黒い聖母子像、過去にトゥールーズが大火事になったときに、街を救う奇跡を起こしたという伝説があるようです。

教会のシスターになんで黒いんですか?と聞いたら、わからないとの返事が来ました。せっかくなので私は、その教会で売られている黒いというよりは茶色に帯びた聖母子像の置物のようなものを購入しました。  

その黒い聖母子像、調べてみると、このフランス南西部一帯に多くあり、有名なものを含めてフランスだけでも200体くらいあるそうです。他の黒い母子像をみてみたいという欲求もでてきたのですが、1999年発行の芸術新潮10月号に、黒い聖母に関する特集が組まれているのを古本屋で見つけて購入しました。ごらんいただくと、いろんな黒い聖母子像があるのがあるのがわかります。

ふつうは白いはずの聖母子像がなんで黒いんだろう?そんな疑問が湧いてきます。よく言われるのは、ろうそくのすすで黒くなったとということですが、私が見たトゥールーズの黒い聖母子像の印象は、そんな感じはしませんでした。もとから黒いという感じです。

またこの芸術新潮にも寄稿している馬杉宗夫さんという方の「黒い聖母と悪魔の謎」という本があり、それも読んでみました。

馬杉さんによると、これら黒い聖母子像がある場所は、巨岩・巨石や水に関係した場所であることが多いそうで、キリスト教以前にこの地で栄えたケルト文化の影響を受けているとのこと。ケルト文化はアイルランドにケルト十字といった、その痕跡を残すのみで、キリスト教流入により、すっかり消えてしまったのですが、アーサー王伝説に登場する魔術師マーリンのようなドルイド教の僧侶がいて、ケルトはドルイド教の信仰がありました。

このドルイド教は、木々や巨石、泉などに精霊がやどるという日本の八百万の神に近い自然崇拝であり輪廻転生も信じていたそうです。有名なシャルトル大聖堂も、もとはケルトの聖地であったところに建てられ、そこにも黒い聖母像があります。つまり古い時代大地地母神の影響を受けていると。

馬杉さんは、そうしたことからこの地のケルト文化のドルイド教の影響を受けているというのですが、別の書物イワン・ベックさんという「黒い聖母崇拝の博物誌」という本を読むと、黒い母子像はこれとは特定はしていないものの、古い時代大地地母神の影響や古代エジプトの女神イシスの影響や、この地で栄えた異教とされたカタリ派やグノーシス主義、南フランスに渡ったマグダラのマリアなどの影響もあるような記載をしています。

エジプトのイシスの子供ホルスを抱いた像は、キリスト教の聖母子像に影響を与えたといわれていますし、そのイシス信仰は当時地中海沿岸にも広がっていたといいます。あるいは、南フランスに渡ったとされるマグダラのマリアは地中海沿岸部にその信仰の跡を今でも刻んでいますし、マグダラのマリアが地中海に渡った時のエジプト人のサラという召使がいて、サント・マリー・ド・ラ・メールには、ジプシーの守り神として黒いろをしたサラへの信仰があります。さらには、マグダラのマリアとなるとイエス・キリストとの子供がいたのでは?その血筋はメロビング王朝?というイエスの血脈というおっかなびっくりの話、「ダ・ヴィンチ・コード」的な話まで飛躍していきます。

いずれにせよ、レンヌ・ル・シャトー、カルカッソンヌといった他の動画をみてもらうとわかりますが、黒い聖母子像は、いまでは名残を残すだけのケルト文化やカタリ派、グノーシス主義、マグダラのマリアの謎といったような、不思議な背景をもっているかもしれない聖なる像とみることもできるようです。

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