ネパールの生き神「クマリ」の謎、処女神のパワー

「処女神 少女が神になるとき」植島啓司・著(集英社)

私がネパールに少女にして生き神であるクマリという存在があることを知ったのは、おそらく20年以上前のNHKのドキュメンタリー番組を見た時です。祭りの山車にクマリが乗り人々が祈るその映像はとても印象に残りました。その時に番組に出ていたのが宗教学者の植島敬司氏。

その植島啓司氏が少女神クマリについて書いた本が「処女神」、長く研究してきたクマリをドキュメントタッチ、紀行文タッチで描いてあります。クマリのルーツはどこか?その後のクマリはどうなった?などなど。

ここで、クマリとは?を整理すると世界で唯一という生き神クマリ(Kumari)、ネパールにおいて一人の少女が3~4歳で「生き神」として選ばれ、初潮が始まる前の12~3歳まで神として君臨するという制度だ。そのクマリは仏教徒のサキャ・カースト(金銀細工を生業とするカースト)から選ばれるといいます。そのサキャはシャカであり自分たちをシャカ族の末裔と称しているそうです。

クマリは占星術師、仏教の高僧らによるクマリ選出委員から選ばれ、32の身体的条件をクリアしなければならない。さらには108頭の水牛と山羊が生贄にされ入り落された首が並べられ、少女は時計回りに歩かされ、平静を保てればパスすることになる、とも植島氏の本には書いています。

クマリには、国王(当時)もひれ伏すほどで、一度クマリに選ばれると、一般からは隔離され部屋からは、特別なことがない限り外へは出ることができない(土壌は穢れているため)という徹底ぶり。ネパールの伝統的に続いた宗教的な行為であるとは言え、そこには人権団体から批判もでているという。

ネパール・パタン市のクマリ

そのクマリの起源はというと3~4世紀に、七母神、八母神の一人として登場しするそうで、処女神クマリはもともと男性神の配偶者として意味づけられているといます。つまり処女であり妻であり母であるという矛盾を抱えているわけで、それはインドに遡ってもクマラという戦士の配偶者になると。ただ、現代のインドではクマリ崇拝はほとんど見ることができないが、3ヶ所の寺院で祀られているそうで、南インドにクマリ・アンマン寺院がある。寺院の名のアンマンとは母なる神を意味し、クマリ・アンマンとは、処女であり母であるため、植島氏は「キリスト教の聖母マリア教会と対応しているかのようである」と書いています。

さらに、クマリの両義性についても言及しており、ヒンドゥー教徒にとってクマリはタレジュ・バヴァーニの化身=怒りと復讐の女神であり、仏教徒にとってはクマリはヴァジュラ・デヴィの化身=恵みと慈しみの女神なのだといいます。植島氏は宗教には根本原理として「同じものが同じものを生み出す」という同一性の法則がある「あるものが別のものに変化しても、そこには元の要素が色濃く反映されていたり、そのなかの属性の一つとして沈殿していたり、またはさらなる変化の時に表面に踊り出たりすることがある」という化身の原理で説明しています。

植島氏の言葉による処女の危険な力に関する信仰は世界中に見ることができる。柳田国男が指摘した妹の力、ギリシャ神話のアテナ、キリスト教の聖母マリア、日本のアマテラスなど処女であるとともに母であるという相反する特性、矛盾により「神性は逆に強化された」のだと。「無垢であり、純粋であり、「ゼロ」であるからこそ、何者かが彼女の身体に入り込むことができる。理解を越えた強大な力とまったく無力な少女の組合せ、そこにそクマリの秘密が隠されているのである」なるほど、私としては想像力が膨らんでいくのです。さらにさらに、植島氏はクマリの二面性についても「処女神が一見セクシュアリティと無関係に見えるのは、実はあまりにその力が強大で危険だったからに違いない。性が消失するところにはまた性の極限値がひそんでいる」と、こうなってくるとクマリがだんだんすごく見えてくる。

いずれにせよ、クマリとは、批判有れども世界的に見ても珍しい生き神、処女神。ある意味で人類の神話的な歴史の断片。可能であれば、一度、クマリに接見してみたいと思いました。そこでネパールツアーを企画した時に、パタン市のクマリとお会いすることを考え実行しました。クマリはまだ幼く、伺った時はご機嫌ななめなところもあったのですが、クマリにチャカを額に付けてもらったのは大切な思い出です。(「」部分「処女神 少女が神になるとき」植島啓司・著(集英社)より引用)

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