視覚のスキャンダル?ルネ・マグリットの絵
シュルレアリスムの代表的な画家ルネ・マグリットの絵は見慣れた普通のイメージに、全く異質なイメージが絶妙に埋め込まれているイメージの裏切りのような感覚を起こさせる。さらには描かれた事物とは全く違う言葉が添えられていたりしてイメージの混乱を引き起こさせる。言葉が場違いなのか?描かれた事物が場違いなのか?
マグリットは、認識の曖昧さを喚起させるのだ。我々の見ているものは確かなものなのか?現実と思っているものは現実なのか?そうした問いを作品の中から語りかける。
視覚のスキャンダル、私にとってマグリットの絵には強烈なエティックな印象体験があります。それは小学生高学年なのか中学生の時なのか、いつの頃なのか思い出せないのですが、女性の顔がヌードにになっている絵を何かの本で見かけた時、性に微かな興味が出てきた年頃であったので、ソワソワドキドキする感覚を覚えたのを記憶しています。その後、その絵はマグリットの作品と知ったのでした。
そこ感覚はマグリットの絵を見る時に、感覚記憶の淵から湧き上がってくる。こちらは偶然、何かの本をめくっていたら、予想もしない絵との遭遇により、それまで味わったことがない感覚が吹きあがってくる。それは視覚のスキャンダルであり、無意識の世界に影響を与えるに十分なものなのではないかと思うのです。
超現実的なもの、あるいは超現実性とは、自らに結びつけられた意味がありきたりのものであれ、並外れたものであれ、それから解き放たれた現実なのです。超現実的なものとは、神秘から引き離されてはいない現実なのです。シュルレアリスムの画家が描き出す思考は、絵画によって眼に見えるものになり得るのです。この思考は、神秘を呼び起こすものであり、神秘とは、それなしでどんな思考も存在し得ないものなのです。(1994年「ルネ・マグリット展」画集より)
マグリットによって描かれる世界に登場する物や人は、抽象的ではなく丹念に描き込まれ直ぐにこれと認識できる。つまり絵が上手いねと評されるような描き方により、それに違和感があるものが描かれることにより、別の見えない世界がそこに湧き上がってくる。見えるものを見せて見えないものを見せる、その神秘。それがマグリットの作品と言えそうだ。
今から数十年以上前にふいにマグリットの絵によりセクシャルなインパクトを得たと書きましたが、もう一つ忘れ得ぬ絵があります。それは大学生の時に幻想美術をテーマとした本を手にしたとき、2足の靴が置かれているつま先が人の足になっている作品。きれいに並べられた靴によりそこに、透明人間のように靴を履いて立っているなにものかを想起させるのでした。これには驚いた記憶があります。なんだろう?一つの生物まで想像させる一枚の絵の持つ力を感じさせるに十分なえであったのです。
それ以外にも、数々のマグリットの絵には、パッと見て直ぐに感じる違和感の有名な絵?(少なくとも私がそう勝手に思っている作品)が多数あります。
そこには私たちが知らないアナザーワールドがあるということを教えてくれるように・・・。