絵が饒舌に語る、横尾忠則は魂の冒険者!

横尾忠則という芸術家は、美術界という枠を超えたスーパースター。80歳を超えたその年齢でも創作意欲は衰えず、人生100年時代を代表するすごい方だと思います。若い頃は寺山修司、唐十郎らの前衛演劇のポスターでインパクトを与え、その後、画家に転向も夥しい作品を発表し続けています。

私は何度か美術館での大規模な横尾忠則展を見に行っていますが、毎回、いろいろな刺激を受けて帰ってきています。一体、横尾の止むことのない泉のようなイメージの源泉は如何に?数年に一度くらいの割合で、横尾忠則という存在を考えさせられるのです。

そのなかで、今から20年くらい前に横尾がタイを旅する番組(実はその番組を見ての私の印象を書いたメモが残っているのですが)があって、その時は釈迦の涅槃像に横尾の関心があった時期。タイには日本とは違ったイメージの涅槃像が多くある。それらを前にして、一期一会の出会いの感性をすごく大切にしていることを紹介していました。偶然の出会いを大切に、それをきっかけに自身のイメージを飛翔させていくその姿はとても刺激であったと私のメモがあります。横尾の発言、「相手は自分」なんだと。描いた絵は「釈迦も自分と見つめ合った」と2人が見つめ合う涅槃像を描いたと(笑)

手元には、本棚から取り出して10年ぶりに見た、横尾を特集した2008年の「芸術新潮」という月刊誌があり、そこで横尾忠則と中条省平との対談記事があります。そこで横尾は、興味深い発言をいくつもしています。

『文章というのは時間を空間化できないんですね。でも絵だったら、1枚のなかに異なる時間を共存させることができる。時間を空間化し、平面化させることができるんです。』

『ぼくは自分の作品のなかにいつもさまざまな謎を潜ませますが、ほんとはそれを解説する必要なんてまったくないと思っています。謎は謎のままでいいんですよ。手品に種明かしなんていらない。』

『幼児性への強迫的な執着がぼくの創作を支えつづけているということはまちがいない。それを失うことに、ぼくは耐えられない恐怖を感じるんです。』

『神秘主義の御本尊「シャンバラ」の地球空洞説の四次元的迷宮地下世界の秘教をちらっと盗み見的に目撃できればね。その記録者になれればと、大それたことを望んでいるんですよ。』

『仕事でかかわった人はほとんどすべて、その後、知り合いになっているように、ぼくのデザインの方法論というのは、相手との距離を縮めて自分のなかに取りこんで、危険と知りつつ同一化をはかろうとする。対称を突き放すというのはぼくのスタイルにはなかったですね。』

『地方に旅行に行くと、暇さえあれば夜空をずっと1時間以上も眺めて夢想するのがぼくの習慣で。夜空を眺めていると空が緑に変化してきます。その緑が補色の赤に転化するんです。』

『そう、これは出会いなんですよ。最初からそこにいて、あるときぼくに発見されるのを待っていた主題だったんです。ぼく自身、そこに立った時点では、「Y字路」のことなんて、まるで認識していなかった。』

横尾忠則の作品は、どれもサイズが大きい。巨大なキャンバスに描かれた夢と現実が交錯する、そしてノスタルジックな懐かしさを醸し出し、時にそれは魂からのエネルギーそのものではないかと思えるパワーに満ちた絵は、そこに描かれ記号化されているヒトやモノに惑わされず(解読を試みるのではなく)、目の前にある不思議な世界を純粋に味わうという素直な姿勢で向き合えば、わかりやすくもあり、横尾が提示する世界観の中を泳ぎ回ることができるのではないとそんな風に思うのです。

2008年にNHKで放送された「知るを楽しむ」という番組があり4回に渡り横尾忠則が特集されていました。古い話ですが、このような自分にとって興味がある番組は欠かさず録画して保存メディアに記録している私なのです。横尾忠則72歳の時です。

第1回目★「他人まかせの巻」

横尾は「絵が自分のスタイルを決める。自分は責任をとらない」と発言。ここからは類推なのですが、自分はただの器にすぎない。であれば、自分はシャーマンに近い存在だから責任なんてとれないとなる。だから、他人まかせというのは外部的要因に引きずられるとすると、自分自身の感性も外部的要因がきっかけで発見され、磨かれてくるとすると、上記で書いた横尾のタイ旅行の印象とつながってくるのです。

第2回目★「死を考えるの巻」

他人にまかせてしまう横尾もデザイナーとなると自己主張を始めたようで、クライアント殴打事件などのエピソードも。横尾と親交のあった三島由紀夫には「何という無礼な芸術であろう。このエチケットのなさ…」なんて言わしめたりしています。果ては自分の死亡広告を出したりと過激な行動にも。そこには「死」というものへの恐怖の意識があり、死の前に先回りして、再生するための脱皮と発言していました。

第3回目★「自由を求めて」

売れっ子となった横尾は、一方でこれでいいのかと自問自答し、ニューヨークへ。そこでピカソの展覧会を観たとき、グラフィックデザイナーであった横尾はスポンサーには忠実だが自己には忠実なのかと問いただし、昔からやりたかった美術をやろうと決心します。1980年に画家宣言をすることに。ピタッと仕事はこなくなったとか。さらに横尾の発表した作品にも当時は批判が多かったようですが、試行錯誤の末行き着いた結論は、自分の様式やテーマが必要とよく言われてきたが、そんなもの持つ必要がないということ。いろいろなものを同時多発的に描いていたほうが、執着が消え自由になれるのだと。

第4回目★「最後は老いて少年の巻き」

横尾は70歳の時、隠居宣言をします。隠居とは枯れたということではなく、自分が主人公になることだと。世間的に見れば何かと物議を醸し出す作家として自由に生きてきたように見える横尾ですが、実は自分が主人公になるんだということを、やっと70歳にして言えたんだという逆説的な見方ができるわけで。それは一見、自由に見えるのはあくまで見る側の感覚であって、当事者は実はそうではないということ。人の心は迷い続ける、隠居と発言する横尾の精神はなんと若いのだろう。

そして一番興味深かったのは「肉体に素直であれ」という発言。それは、精神というのは何かと迷うのが好きだということ、でも肉体は嘘をつかない、寒ければ寒い、痛ければ痛い、自分の感覚に正直なので、肉体の声に耳を傾けろと言うのです。これは自然体でいるということの非常にわかりやすく言い回し。言葉に飾りはなく理屈じゃない感覚が炸裂する。だからか横尾がキャンバスに展開する絵は説得力があります。

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