日本を代表する思想家・梅原猛による日本人の死生観とは?

ユリイカという月刊誌があり、1994年の臨時増刊号に「死者の書」と題した特集号があり、そこに日本を代表する思想家・梅原猛の「あの世の話―日本人の死生観」という原稿がありました。これを読んでみたら面白かったので、それを箇条書きにしてまとめてみました。

・日本人はずっと昔から、あの世のことの方が大事だと思っていたようだ。
・魂は肉体を離れてからあの世に行く、だから屍のことを「なきがら」という。
・家の鴨居は神が居るという意味で、死者の魂は鴨居にいるらしい。それが終わるとお山に行ってそこに滞在してあの世に行く。
・あの世のこの世はあまり変わらないらしい。
・あの世とこの世のどこが違うかと言うと、この世とは万事があべこべらしい。この世では足を下にしてあるいているが、あの世は足を上にして歩いているそうだ。
・この世で完全なものはあの世で不完全。
・葬式は昔は夜の始めにした、なぜなら、この世の夜はあの世の朝にあたるから。
・日本には地獄極楽の教えはあまり信じなかった。日本人の信仰はあべこべであの世に行けが、神になり仏になるという考え方がある。
・祖先はあの世に行きっぱなしかというと、時々は帰ってくる。お正月とお盆、お正月の門松は祖先の霊を迎える目印。なので門松はなるべく自分で作ったほうがいい。
・あの世の一日はこの世の一年。
・役者の襲名というのは霊が乗り移るという考え方。
・本当は仏教は葬式と関係がない。
・結婚式を仏教でやって葬式を神道でやるという人はいない。風習の根底には一つの思想がある。
・葬式を日本ではじめたのは浄土教、日本の仏教が葬式仏教になったのは、浄土教の影響が強かった。
・今の坊さんはほとんど肉食妻帯、それを公然としたのは親鸞聖人。親鸞聖人は念仏をすればどんな悪人でも浄土に往生するのだから、肉食妻帯も構わないではないかと説いた。
・熱烈な恋のように阿弥陀さまに恋をする。そうしたら極楽浄土に行ける、これが定善。
・普通の人はどうしたらいいか?世間的な善行を積め、ただそれだけではだめで、お寺に寄付をしなければだめで、それが散善。
・法然はただ一つの善を積めばよい。善というのは、口で南無阿弥陀仏を称えればどんな悪人でも阿呆でもみんな極楽浄土に行けると説いた。
・この世に苦しんでいる人がいる限り、われわれは極楽浄土に行って心が清められたらまたこの世に戻ってきて、念仏の徒となって生まれ変わり、今度は苦しい人を救わねばならない。それが親鸞の仏教。
・親鸞は自分は聖徳太子の生まれ変わりではないかと本気で思っていたらしい。
・昔の人は、また生まれ変わってくるのだからというので、年を取ると隠居した。隠居して欲を捨てて、今度は生まれ変わりの準備をした。
・禅宗では人間が死んでからあの世に行くというものを信じない。人間は死ねば無になると考えた。
・道元の中心思想は「生をあきらめ死をあきらめるは仏教一大事の因縁なり」。生死をあきらめることが一番大事なのだと説いた。
・いつ死が来るかはわからない。だから死を覚悟して、今の生の中に死をいれろというのが道元さんの言う生死の対立を超えろということ。
・生死を超えた瞬間しか人生はないではないか。どこに生死があるのか。この「今」の瞬間にしか生死はない。
・道元さんにたいに死を覚悟して、どうせ人生は無常だ、瞬間に人間として実に大事な必要欠くべからざることだけをする。そうしたら生死を超える。

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