マリリンに首ったけ?・・・②

素顔のマリリン・モンローはどんな人だったんだろう?一昔前のそれもハリウッドの大スター、私には想像もつかない世界の住人。彼女が残した映画や写真は、その後も永きに渡り語られ伝説化していった。未知の女神マリリン・モンローの系譜を追ってみた。

Cinema「ナイアガラ」(1953年)

■製作年:1953年
■監督:ヘンリー・ハサウェイ
■出演:マリリン・モンロー、ジョセフ・コットン、ジーン・ピータース、他

映画「ナイアガラ」はサスペンス仕立て。モンローは怪しげな魅力を振り撒く小悪魔的な存在として登場します。ただ、映画が製作された年代は古い故、現代から見るといささかテンポが遅く先が読めてしまうといった風。ナイアガラという世界的な観光地、それと殺人事件を絡めた話は、ひと昔のテレビドラマに見られる観光地をロケ地にした事件話に脈々と引き継がれている基本中の基本なのでしょう。何しろ名所なわけですから背景がいい、そこは圧倒的な自然であり、歴史が漂う特別な場所だから。

さて、この「ナイアガラ」でモンローが一斉を風靡したのは、「モンロー・ウォーク」です。私が若い頃に流行った曲、南佳孝が「モンロー・ウォーク」という歌を歌っていました。映画ではモンローがクネクネ歩いて行くのを見た若い夫婦の旦那がふらりと後をつけそうになり、思わず奥さんが制止するというように描かれていました(笑)

時代を象徴する女性としてモンローはよくもわるくも存在したんでしょうし、インパクトが強かったというのは、この映画が公開されて20年以上たって日本のミュージシャンが歌うということが顕著に感じられると思うわけです。

Cinema「恋をしましょう」(1960年)

■製作年:1960年
■監督:ジョージ・キューカー
■出演:マリリン・モンロー、イヴ・モンタン、トニー・ランドール、他

フランスのエンターテイナー・イヴ・モンタンとマリリン・モンローが共演している映画。この時、モンローとイヴ・モンタンはロマンスにおちいって、それを聞き付けた奥さんがフランスから駆けつけたとか、つけないとか。そんなエピソードがある映画です。そうしたロマンス話はモンローに関する本を読んでいると必ず言及されています。

つまり、モンローは恋多き女性で、短いロマンスを大いに重ねたようだ。短い生涯で結婚を3度しているが、世間的な制度で彼女を縛り付けるのはもとから無理があったということなのだろうか?

映画は著名な有名人(プレスリーやマリア・カラスなど)を笑いの対象にしてしまうというミュージカル仕立てのお芝居を打とうとしている小さな劇場が舞台になっている。舞台の稽古の様子がそのまま映画の本編と重なってくる劇中劇のような構造。

マリリン・モンローはそこの女優という役で、登場の仕方は、まさに真打ち登場!っていう登場のしかた。その姿は鮮やかで華やかだ。登場してから見せる歌と踊りの場面は、この映画で一番モンローが魅力的に見えたところといっていい。ただ、以後はわりと地味な印象(髪型のせいか?すこし太っているのか?)。

一方のイヴ・モンタンは、フランスの大実業家、億万長者という役柄で、モンローらが属する劇団員に笑いの対象とされる金持ちの色男という設定。モンタンはその芝居をやめさせようと劇場に行くが、彼等に大金持ちの鼻持ちならない実業家に似たそっくりさんとみられてしまう。しかし、彼にとってはすべてが金と絡んで見られてしまう人間関係において、モンローは売れない役者として接し何かと優しくしてあげる。そんな彼女に好意を抱いた彼は、身分を隠し、なんとかモンローに気に入られようとする。しかし、気にすればするほど彼の行為は裏目に出てしまい、情けない限りの展開に。それがこの映画の可笑しさといったところ。

Cinema「王子と踊り子」(1957年)

■製作年:1957年
■監督:ローレンス・オリヴィエ
■出演:マリリン・モンロー、ローレンス・オリヴィエ、シビル・ソーンダイク、他

天下の名優と称されるローレンス・オリヴィエが監督と主演を勤めた映画。この映画は、マリリン・モンローが社長を務める「マリリン・モンロー・プロダクション」がローレンス・オリヴィエを雇ったということになっている映画なのだとか。つまりこの時期、彼女は名実ともに世界のモンローであったということの表れなんだと思います。

さて、肝心のマリリン・モンローといえば、タイトル通りで踊り子の役柄、気のせいか彼女は芸人の役が多い印象。マリリンのキャラを生かすのは芸人の役柄なのだということか?たしかにOLって感じも、女教師という感じも、女医という感じもしない。マリリン・モンローは、もう存在そのものがモンローなので、モンロー以上以外でもない。その意味では芸人しかないのかもしれません。

物語はイギリスのジョージ5世の載冠式にロンドンへやってきたカルパチアの若い陛下と摂政のチャールズ(=ローレンス・オリヴィエ)。イギリスの外務省の接待で見に行ったミュージカルに出演していたエルシー(=マリリン・モンロー)にチャールズは、目をつけて彼女を口説こうと試みるのですが、愛らしいエルシーも純なのか?したたかなのか?そこから恋の駆け引きが始まるという展開。

モンローのセクシーダイナマイトな存在感となんとも言えぬ自然な愛らしさが表れた彼女の魅力が光っている映画でした。

Book「偽りのマリリン・モンロー」(松本侑子)

主人公の女性はフォトグラファー、マリリン・モンローの熱烈なファンである。大学時代、アメリカから留学していた同級生の男性エリックと偶然の再会で彼の叔母ジェーン・ハインなる女性が、マリリン・モンローのそっくりさんであるということを聞き、彼女の写真を撮ろうとアメリカを訪ねることになる。そのひと夏の滞在記を描いた小説です。

マリリン・モンローのそっくりさんは、身振りや話し方を徹底的に真似、さらに似せるために顔だけではなく肉体にまで及ぶ整形手術を施している。そっくりさんということで、一時期はマスコミにもてはやされもした。しかし、それはモンローに似ているということによる大衆的な興味だけであり、メディアの過激さは、ジェーンにヌードのみならず男性と性交している写真までを撮影した。しかし、ジェーンはどこまでいってもモンローではない。やがて、彼女は精神を病み、薬づけの毎日を送っている。

主人公の女性は、そんなジェーンと接しながら、マリリン・モンローとダブらせて彼女を見ていく。主人公である<私>の独白、あるいはジェーンやエリックが語る言葉は、女性(ここでは作者の松本侑子となるか)からみたマリリン・モンローへの共鳴、共感であり、憧憬なのであり、マリリン・モンロー論ということができる。

「彼女は夫や恋人に父親像を求めた。幼年期に父親がいなかった経緯を差し引いても、生涯を通じて異性に保護者役を求め続けたモンローは、無力な幼児のような女性であり、対等な男女関係を築く努力や、本人自身の精神的な成長や自立を拒否していたと解される。」

「とろけるようなモンローの甘さは、巧みな演技力と努力の賜で、モンロー自身は決して「白痴美」というほど馬鹿じゃない。人の気を逸らさない彼女の演技は、周到な計算によるものというより、勘のよさやひらめきに負う部分が大きく、自分の美しさを知る女のナルシシズムと、それに基づく露出癖から来るものだ。チャーミングに露出する術を知っているから猥雑さは感じられないが、幾分、はすっぱな気分があることも確かだ。しかし、すれっからし気分は楽しむ程度に留まり、モンローの露出に、退廃はない。ヤンキー娘の明るく善良な素直さが根本にあるからだ。」

「モンローは、同情を引く境遇を語りながら、一方で、本当は都合の悪いことは、隠していました。事実上は私生児だったのに、孤児だったと偽り、また、精神病院に入院していた母親のことは、死亡したと言って、世間を騙していました。その他にも彼女は、心の底に、絶対に誰にも言えない過去を隠していたんだと思います。子供の頃の惨めな記憶とか、無名時代の売春やひもじさを・・・・・・。」

そして、松本侑子はマリリン・モンローという虚像を通してノーマ・ジーンという一人の女性についてこう語るのである。

「そもそも、マリリン・モンローという女の人は、この世のどこにも存在しなかったんだわ。アメリカが輝いていた頃のハリウッドに、モンローという女優はいたけど、その女優は、ノーマ・ジーンという一人の女性と、モンローを愛した当時のアメリカが作り上げた美しい幻想に過ぎなかったのよ。それなのに、その幻想が一人歩きして、ノーマ・ジーンがモンローそのものだと、誰もが思いこんで仕舞ったのよ。そしてその期待に応えようと、ノーマは、精一杯モンローを演じた。でも、ふと気づくと、ノーマが、彼女自身に帰り、心からくつろげる場所はなくなってしまったのよ。あのお墓の中には、モンローはいないの。ノーマ・ジーンという、内気で臆病で、人に嫌われないかといつもびくびくし、愛されるためには、自分を偽ったり、類い稀な肉体と精神を、人々の好みに合わせることしか思いつかなかった可哀そうな一人の女が眠っているだけ。結局、ノーマ・ジーンには、死しか、安らげる場所がなかったのね。でも、今だって、世界中の女たちの中にノーマ・ジーンはいるわ。ジェーンもそうだけど、私の中にもいる。」

※「」部分、「偽りのマリリン・モンロー」(松本侑子)集英社文庫より引用

Document「マリリン・モンロー ライフ・アフター・デス」(1996年)

■製作年:1996年
■監督:ゴードン・フリードマン

マリリン・モンローの3サイズはわかりませんが、映像の中で彼女が生前にバスト85、ウエスト60、ヒップ90と墓に記銘してほしいと言ったとありました。真偽はわかりませんが、モンローが謎の死をとげた時、遺体の引き取り手がなく数日放置され、最後は2番目の夫であったジョー・ディマジオが引き取ったそうです。

このドキュメンタリーはマリリン・モンローと関係のあった人たちの証言集の形をとっており、そこではつらくなる話もありました。彼女の遺体は解剖され(それにより睡眠薬の多量摂取とされたのですが)、無残にもそのバストは切り取られていたとありました。そこで、スタッフが脱脂綿を入れてなんとか形を整えたそうです。

映像でその話を聞いたときは、無性に悲しくなりました。モンローについてほとんど知識がなかった私が、続けて映画や本などに親しむにあたり、彼女の壮絶な人生を知り、ただのセックス・シンボルではなかったことがわかってきたため、だんだんと情が湧いてきたからかもしれません。マリリン・モンローの豊満なバストは、素顔のノーマ・ジーンが生きていくために、どんなことを言われようとも大切に守ってきたものではなかったのではないでしょうか?

タイトルの「ライフ・アフター・デス」とあるように、マリリン・モンローの死後、あらゆるもののアイコンとなり、デフォルメされ、モンローを冠した商品は、溢れるほどに世界中に出ていくことになります。モンローは、芸術の世界にも影響を与えています。著名なアンディー・ウォーホルは彼女を作品にして、さらに神話化を促進させたのかもしれません。

彼女の人生は、彼女が出演したどんな映画より皮肉にもドラマチックでした。そして孤独な死をとげることにより、彼女について様々な本や映像、グッズなどが作られ世界中に広まり、どんどん神話化されていきました。マリリン・モンローは亡くなったことにより、本当の意味での大スターになったのかも知れません。このドキュメンタリー作品を見てそんなことを感じました。

この作品には、当時のテレビ番組のインタビューに答えているかわいらしくキュートなマリリン・モンローの姿が映し出されています。そのある種、天使のような彼女を見る限り、もっともっと活躍して欲しかった、残念でならないと思うばかりで・・・。私が生まれる前の時代に活躍した海の向こうの女優、全く縁も関係もないのですが、瞼が涙で二重に見えたのでした。

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