自粛GWの散歩で、横尾忠則の「Y字路」を想起し立ち止まった私

散歩で出会ったY字路

コロナ禍で日本は非常事態宣言を発し、一億総自粛となった2020年のGW。振り返ると大きな変化へ向かうことになる歴史的事実として、後世に語られることになるのでしょうか?基本、私も右に倣えと自粛したわけですが、家にずっといると体がなまってくるので、人と接触をしないよう散歩三昧のGWでした。

歩け、歩けとばかり、普段はこんなに歩くことがないし、どうせ歩くならと緑の多い所を選んで歩いたのです。郊外の公園には人もまばらで、弁当買ってそこで食べたりしました。家の歩ける範囲内でこんなにも緑の空間があったのは、少し発見であり驚きでした。

ところで、散歩で見知らぬ場所を歩いていると「Y字路」に出くわしたことがありました。写真はその時にであったY字路。

ちょうどコロナ禍の最中であったこともあり、私は画家の横尾忠則の「Y字路」の作品群を想起したのでした。このY字路を前にすると、右に行くのか?左に行くのか?その選択を迫られるのあります。岐路としてのY字路。私は横尾忠則がどういう視点でY字路の作品群を制作しているのか、わかりませんが少なくとも、何気ない風景を見逃さない、その感性がすごいとあらためて思わされたのです。

横尾忠則の展覧会画集

Y字路を前にして、いったん立ち止まり、どちらに行くべきか?多くの人が、今、象徴的にこのY字路に立たされているのだと思う。こっちの道だよ、いやこちらの道だよと何者かが語りかけてくる・・・。まるでそこはこれから先の未来へのイマジネーションが発露してくる場所でもあるような・・・。

横尾忠則の作品はどれもイマジネーションをかきたて、ある種の物語性の中に巻き込まれていくような感覚になります。その横尾忠則は、このコロナ禍でどんな発言をしているのだろうかと気になってHPを見てみると

Twitterで横尾忠則はこうつぶやいていた。

●4月30日・・・コロナのために新しい生活、新しい考え、新しい生き方を考えようとする気風が皆んなの中に出てくるのでは。コロナが自分を新しく変えてくれるようにもっていきたい。/ 先ず、ぼくの場合、絵が変りつつある。コロナ以前の絵はもう古くさく感じて描く気がしない。 / コロナで自分の中に閉じ込もる人も多いと思うが、これは逆で、自分の気持、意識を変えるチャンスだ。でも自分を変えたくない人もいるんだよね。

●5月3日・・・外出しないで、アトリエのソファーで横になって週刊誌なんか読んだり、文学、哲学、思想をマンガにした本を読んでいると、頭の中につまっているどーでもいいものが、どんどん出ていく。 / そしてスカスカ、カスカスに頭の中が空洞になる。その時閃くのが間違いないことだ。 / このGWを利用して禅寺に参禅するのも。ひとつの手じゃないかな。やってみたら。

●5月6日・・・ある二ヶ所の禅寺で幽霊を見た。修行に来ていた人の霊らしい。こんな人だったと老師に語ると、「ああ、死んじゃったけど、あの人だ、死んでも坐禅してるんですね」と。こんな話はちっとも珍らしくない。(※横尾忠則公式HPから引用 http://www.tadanoriyokoo.com/index.html)

ずっとアトリエにこもっているので自粛もあまり関係ないと書いているところもありましたが、禅寺で座禅を組んでいた。なにかヒントがあるように思えたわけです。

全Y字路 横尾忠則全ポスター 私と直観と宇宙人 (文春文庫)

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