「怪と幽」の呪術特集を読んだ、1ヶ月遅れだけど

角川書店から出ている「怪と幽」vol10の特集は、「呪術入門」でした。呪術というキーワードが、マンガのヒットで出版物に呪術のタイトルがついた本をたまに見かけます。そこでこの「怪と幽」を購入したのですが、そのまま積読となってしまい、次号がでているのに遅ればせながら手に取って読んでみました。いくつか寄稿された中で、妖怪博士で有名な小松和彦氏、博覧強記の荒俣宏氏など3点の記事を備忘録として抜き出し記載いたしました。

あらためて、呪いとは、恨み、つらみ、怒り・・・といった自分ではなかなか制御できない<感情>という、人間として持って生まれた<業>をどうやって解消するのか、浄化させるのか?ということと、生き方を説く宗教がそうした人の業を包み込んでいく際に、そうした感情を無視できない故に生まれてきたものなのかなと。あるいは、人がかつて超自然的なものを感じとることができていたとして、そうした制御できないことをなんとかしようとした名残りなのかなと、思ったりしました。いい悪いは別として、いまではそうした呪術の力より科学技術の力の方が、圧倒的なパワーで現状を変えてしまうので、なんだかな・・・と思うわけです。

小松和彦「呪術とは何か」

●呪術は・・・神秘的な力をなんらかの方法で用いて、様々な願望を実現しようとする行為
●呪いと真逆の祝福も呪術の一形態
●呪術は・・・超自然的なものを一定の方法で操ることによって、自分が望む状態を作り出そうとする技術
●呪術によって望む状態を作り出せると信じている術者と、その術者を信じる人々がいないと成り立ちません。呪術は・・・ひとつの土俵の上に乗ることで成立
●錬金術・・・世界の理を変えるための技術として呪術的要素が入っていました
●感染呪術・・・ターゲットとなる人に一度接触していたものー着衣や足跡などを媒介して、相手に影響を及ぼそうとする呪術
●類似呪術・・・形状や形質が似たものに何か操作を加えることで、目的となる対象に影響を与えようとする術
●善悪を基準に置いて、善き結果を招くものを白呪術、悪い結果を生むものを黒呪術
●どれだけ合理的に振る舞おうとしても、何か神秘的な力に頼りたい気持ちが自然に湧き上がってくるのが人間というもの
●人間には欲望があり、想像力がある。よって、必然的に神や精霊を操りたいという願望は生まれてくるし、それは今でも失われていない
●憑霊には、狐憑きや蛇憑き、犬神、または護法童子のような式神も含まれています
●山の神や川の神を祀るのも、神楽も祈祷なんでうす。そして、呪力が形になったものを式神と呼んでいました。祈祷とは・・・「支配的に自分たちの臨む状態を作り出そう」とする方法です
●その力の源は知識であり、言葉
●式神は彼ら(=いざなぎ流の祈祷師・太夫)の呪術の形象化したものであって、本質は精霊を操っているシャーマンと変わらない
●土地争いがしょっちゅう起きます。その争いごとの解決方法として呪いが使われたわけです
●呪ったことを相手に知られないようにしよう、自分たちだけの閉じた世界に収めようとするものが基本です。結局、呪った時点で気が済むこのも多いのでしょうね。人は感情をなんらかの形で表現することで気持ちを和らげたり、消したりすることができますから、人への呪いはいわゆる穢れであるので、祈祷を通じて心を浄化するのですね
●カタルシス(精神の浄化)の語源は、体に入って悪さをする悪霊(カタルマ)をシャーマンが体内から見つけ、取り出す作業にあります。つまり、体内に溜まった悪いものを取り出して、洗い流すわけです
●呪いの儀式というのは、呪術師が呪いの気持ちを浄化するための演劇的な場であるのでしょう
●穢れは次々に生まれているのに、祓われないままで充満しているのが今の社会です
●結局、負の思いを表出するもうひとつの土俵は、フィクションに求めるしかないわけです
●呪術を成り立たせるためには、その背景となる「物語」が必要です・・・物語は、結果的に溜まった‟穢れ”を祓う力を持っていると言ってよいでしょう
●人間に喜怒哀楽がある、つまり人が人である以上は、‟穢れ‟がなくなることはありません・・・色々言いつつも、やはり人間はどこかで呪を信じているんですよ


荒俣宏「アクションとしての呪詛」

●日本の中世は怨みと呪いのスタイルが一変した時代だった。・・・野生の鬼が、中世になると、都の女性が進んで鬼になる、というふうに置き換わるのだ。・・・それまでの鬼は「人を食い殺す怪物」であったのを、馬塲の著作が「怨みを持つ異民族や差別を受けた人々、とりわけ中世の鬼女」という方向ににっくり返した
●文覚は平清盛を討とうとして敗れた頼政の怨みを背負っており、また頼朝も平氏と奥州藤原氏を倒すために分覚の祈祷を必要とした。・・・文覚がなぜ江島弁財天にも注目したか、そのわけも知りたくなる。この理由は明白だ。天下無敵の護国経典『金光明最勝王経』に弁財天の効験がうたわれているからである。弁財天には、国家を守る武神としての側面がある。・・・頼朝の戦いは「弁財天ウォーズ」だったとも形容できる
●『太平記』によれば、北条政子の父であり頼朝の義父にもあたる北条時政が、ひそかにこの蛇神の呪力に注目した伝説を記録している時政が榎ノ島弁財天(江島弁財天)に参籠したところ、夢に竜女が現れ、北条の繁栄を約束して三枚の鱗を残し姿をけした・・・ゆえに北条家は家紋に「三つ鱗」という蛇の鱗模様を採用した
●思い浮かべるべき鎌倉の鬼女といえば「若狭局」である。この話にも、鎌倉幕府と蛇との因縁がすかし絵のように隠されている
●建長寺・・・その敷地というのが、かつて処刑場であった「地獄が谷」なのである。・・・南宋の禅僧が罪人の処刑場であった地に道場を建てたことも型破りだが、ここでは型通りの仏教ではなく、過去の経緯にとらわれない学問が推奨された。それが儒学であり、わけても朱子学が重んじられた
●北条時宗は二度の蒙古襲来に対して、道隆を継ぐリーダーとして無学祖元という禅僧をふたたび中国から建長寺に招いた・・・刀を振りかざして襲いかかった蒙古軍に向かい「臨刃偈(りんじんげ)」と題した頌(神への称え歌)を唱え、蒙古軍を押し返したというのだ
●日蓮は知っていた。最高の護国経典『金光明最勝王経』や『法華経』、パワフルな『孔雀王咒経』や『観音経』といった護国祈祷の経典を学ぶには、自身が動くこと、またその内容を知るには経典の題目を何百回も繰り返しとなえるというアクションによって実現できることを
●あくまで口に出して読み上げなければ呪力は発揮されない。ゆえに「真言陀羅尼」と呼ぶ。メディテーションでなく、アクションが、祈祷の発動法なのである。逆を言えば経文を呪術化する力が「祈祷」なのだ
●あの「祈祷合戦」ともいわれた承久の乱のとき、真言密教の祈祷を武器とした朝廷が、なぜ執権北条氏の祈祷に敗れたのか、と。まさに祈祷の本質を問う疑問だ
●聞くだに震え上がる大災難の名を挙げた「自界叛逆難」と「他国侵逼難」の二つである。それは、国を割る内乱と、外国からの侵略のことだ。後世に日蓮が「元寇」を予言したといわれる瞬間である


加門七海×角悠介「呪術には国民性は表れる!?ルーマニアと日本の比較

●「マタイの福音書」に登場する東方の三博士・・・黄金・乳香・没薬を持参した・・・三博士が持参した三品は、当時代表的な魔術材料だった・・・この箇所は「魔術」を捧げる、つまり魔術を放棄して神に帰依したことを示しているともいわれています・・・占星術の学者とされるマゴスたちが魔術材料を捧げるのは、象徴的な意味合いを持つわけです(角、加門)
●ルーマニアがキリスト教国といっても、カトリックやプロテスタントよりも東方教会を信じる人が多い国だという点です・・・ルーマニアには未だ「魔女」が残っています(角)
●ルーマニアの魔術はイメージが優先であって、厳格な作法があるわけではないんですよ。なにせ「村の数だけ法がある、老婆の数だけ魔法がある」ということわざがあるぐらいです(角)
●ある学術書では採取した魔術を次の六種類に分類しています。一、天候の魔術二、家庭魔術三、マナの魔術四、医療魔術五、恋愛魔術六、予見魔術
●人類学用語の「マナ」ではなく、ルーマニアにもともとあった概念で、出典は旧約聖書の「出エジプト記」です・・・イスラエルの民に、神が降らせて恵んだという謎の食べ物ですね・・・聖書では謎の食べ物を示していたマナでsyが、ルーマニア語では家畜の乳や収穫物や蜂蜜、そして文脈によっては乳量や収穫量に影響を与える生命力を意味することもあります・・・家畜や農作物に宿るマナを強めたり、マナの盗難を防ぐといったものです。悪い魔女にマナを取られないよう、家畜の乳房にニンニクを塗り込むとか(角、加門)
●神戸市外国語大学英米学科教授・山口治彦先生・・・呪文を大きく真正型呪文と普及型呪文の二つに分類しています。前者は難解な言葉だが術者は効能を信じている呪文、後者は耳で聞けば意味がわかる呪文
●別の分類では「理解可能な呪文」と「理解不可能な呪文」に分かれ、「理解不可能な呪文」はさらに「何かを示す呪文」と「何も示さない呪文」に分けられます。「理解不可能」で、かつ「何かを示す呪文」とはすなわち外国語の呪文です。日本だと仏教の真言などがそれに当たります(角)
●何も示さない呪文というのは、チチンプイプイみたいな感じです。音はあっても意味はない(角)
●バックグランドの宗教次第で、呪術の質にも差がでますね・・・キリスト教の神は日本の神仏ほど願い事を幅広く引き受けてくれないので、人間が主体になってやる魔術が盛んになったのかなという気がします(加門)
●『新撰 咒詛調法記大全』という本・・・たいそうな書名のわりに内容はというと神秘的な力はあんまり関係がない。日常的な知恵が多いんですよ・・・丸っきりおばあちゃんの知恵袋ですよ(加門)
●誰かに魔術を依頼することはあって、その場合はきちんと対価を払わないと効力が出ないとされている・・・職業魔女もいます。彼女たちの大半はロマで、代々受け継いだ魔術を持っていますが・・・カバラなどの西欧神秘主義が随分入っているんです(角)

※以上は、「怪と幽」vol10の呪術入門(角川書店)から引用転記しました。

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